<趣旨> 金魚の活き餌探しに出かけたときなど、年のせいか、昔懐かしい気分になることが多く、もう一度あの場所を訪れてみたいなぁ〜と思うこともしばしば、、思うだけならまだ良いのですが、つい目的を忘れ実際に足を伸ばすこともしばしばやってしまいます。。そんな折、カメラをもって来れば、よかったと悔やむことが多く、HPに使用すれば忘れないで済むと考え、このページを番外篇として開設してみました。。。金魚・らんちゅうには全く関係ない神社・仏閣などの古刹や身近な自然をテーマにした、金魚にはまったくもって関係のない私的な紀行物です。。。 |
ぶらっと紀行@ 書写山 圓教寺 | |||
ていただいた担任の先生と4〜5人で登った標高300メートルほどの山です。杉木立が立派で深山幽谷を絵に描いたような場所です。なぜか何年かおきに訪れたくなってしまうのは、空気がよく修験の山の静寂さと凛とした清々しさに出会えるからかも知れません。ちなみに最近では、トム・クルーズ主演の映画「ラスト・サムライ」や、昨年のNHK大河ドラマ「武蔵」の撮影にも使われたようです。チャンバラの撮影に使われるのは、華厳密教のなかに後の城主の臨済宗(禅宗)も組み入れられてるからかも知れません。昔、家族や先生と訪れた頃は、確か、拝観料は要らなかったはずなのですが、今は関所みたいなのがあり、志納金と称して、300円支払わされます。ちなみに今になってわかったことですが、九州からやってきた性空上人がこの修験道場を開山する以前にすでに古代信仰の山だったようです。かなりの歴史の重みを感じます。 <略縁起;康保三年(西暦966年)、性空上人(しょうくうしょうにん)による開山。西の比叡山と称し、西国巡礼第二十七番札所。> それでは、その関所から、鬱蒼とした古道を通り抜け、仁王門をくぐり順に境内を奥へと入ってみましょう。(画像を左→右、下左→右、、、と入って行きます。。) |
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関所を抜けるとかなり急な坂道を登ってゆかねばなりません。両脇には最近建立された千手観音などの像が並んでいます。まだ、ここは境内ではないようです。 | → | 坂道をしばらくゆくと歩幅の大きな石段が見えてきます。見上げると門が立っていました。仁王門です。ここから先が寺の境内と書いてあります。門をくぐると心無しか空気が違うような錯覚を覚えます。 | |
仁王門をくぐり抜けてもまだ何も見当たりません。さらに鬱蒼とした杉木立が両壁を埋めます。ぽつんとお地蔵さんが祀られています。人はあまりいません。この辺でご年配のご婦人の団体客とすれ違いました。 黙々とただ登りつめてゆくだけです。こんなに遠かったかなと自分の記憶の曖昧さに年月の過ぎ行く速さを感じてしまいました。 全身からは汗がにじみ出てきましたが不思議と不快感はありませんでした。。 | → |
頂上へ向かう右の崖に石段があり、上方に門があるので、はいれるかなと思い立ち寄ってみましたが、「塔頭(たっちゅう)」と書いてあり、錠が掛けられ中へは入れませんでした。あとで調べたことですが本院の境内の末に建てられた弟子が上人など慕って暮らした小院だそうです。「壽量院(じゅりょういん)」という分院だそうです。隙間を覗き込むと書院造りで植木など綺麗に剪定されていたのでおそらく今でも実際に修行僧にでも使われているのでしょう。。説明書き→次の画像。 | |
建物自体は、江戸期のもののようです。平安後期に後白河法皇が訪れたとあります。かなり昔からの分院みたいです。後白河なら、この寺と武士との繋がりが伺えます。源・平を、かなりうまく使い分けた抜け目の無い人だったようです。 | → |
中に入れないんならしょうがない、300円も取っときながら、入れてもくれないところに説明書きなんかたてて!!なんて思いながらさらにゆくと、今度はうって変わって下り坂になります。しかも俗っぽい雰囲気の赤い垂れ幕が並んであります。確かこの先に京都の清水寺に似た建物があったはずと思いきや、ありました!!なぜ覚えてたかというと、ここの前に御茶屋があり、なんか食べた記憶が残ってたのでしょう。まったく飲み食いというヤツは、記憶にまで影響を及ぼすものらしいのです。 | |
摩尼殿(マニデン)、と書いてあります。「マニ」とは、梵語の「如意」だそうで、専門家でないのでわかりませんが、ご本尊が、如意輪観音だということです。四天王(多聞天、広目天、増長天、持國天)<本尊の守護神>も祀られてるそうです。小さいころは清水寺に似てるとおもいましたが、大人になってもそう思ってしまいます。 | → |
下から覗いたカメラ割りです。ますます清水寺?だと思ってしまいます。この裏を通りぬけると、大河ドラマ「武蔵」の撮影で使われた「食堂」という禅僧の修業場に出ます。確か、市川新之助(現、十一代目、海老蔵)粉する武蔵が、奈良で僧兵と決闘する場面だったと思いますが、、定かではありません。 | |
先ほどの摩尼殿の裏道を通り、武蔵の撮影現場「食堂」に辿り着くまでに、このような巨木が多く立ちそびえています。さらに冷んやりとした雰囲気で天狗が出てきそうな・・そんな気にもさせてくれます。この鬱蒼とした道を進んでゆくと突然開けた広場のようなところに出ます。コの字型に3つの建物が立っています。正面に真っ先に見えるのが、例の「食堂」です。 | → |
武蔵と僧兵が雪の降るなか決闘するシーンが浮かんできますね。ここがNHK大河ドラマ武蔵の決闘シーンに出てくる「食堂」です。(私は間違えて「しょくどう」と読んでしまいましたが、「じきどう」と読むそうです。)私がここまでやっと辿り着いたとき、すでに先客がいて、二人のフィリピン人女性を連れだって来てる初老の男性が、この食堂の中で大声で携帯電話でなにかしゃべってたので、とても近づく気になれず、一服してから写真を撮ろうと離れたベンチで休んでると、後から、女子大生風の集団客が来てしまい、わーきゃ〜騒ぐわ、おまけに寺男らしき人物が女子大生相手に市川新之助がどうのお通さんがどうの、こうのと講釈をはじめてしまうわで、、とてもシャッターを切る気になれず、これらの集団が去ってから写真を撮ろうとしたので、予期せぬ時間を潰すハメとなってしまいました。。その結果、帰りのロープーウェーに乗り遅れてしまい、仕方なく帰りも徒歩で下山せざるを得なくなってしまったのでした(トっホッ〜〜!!!)。テレビの影響ってすごいですね。このような似つかわしくない客まで呼んでしまうのですから。せっかく静かで良い気分に浸ろうと思ったのですが、写真とるのが精一杯でした。。結局、中にも入れず仕舞いに終わりました。。まぁっ近いからいつでも来れるというのもありますが・・・・・(「食堂」その壱) | |
この角度なら、成田屋通には、わかると思いますが・・・(「食堂」その弐)今は一階が写経場、二階が宝物の展示室に使われているようですが、もともと、修行僧の寝食の場だったそうです。。 | → |
「大講堂」(だいこうどう)、圓教寺の本堂だそうです。つまりお経や説法を行う場です。釈迦三尊が祀られています。「食堂」に向かって右手奥に堂々と建ってます。この本堂の向かい側に「常行堂」(じょうこうどう)という阿弥陀さんが祀られているお堂がありましたが、中のライトUPされた仏像に見入ってしまい、つい写真を撮るのを忘れてしまいました。この3つの堂がコの字型に並んでいるのが特徴のようです。 | |
阿弥陀さんが祀られている常行堂の前を通って、さらに奥に進むと開山者である性空上人が祀られている奥の院に辿り着きます。その名のとおり一番奥にあるんですね。その奥の院の側に立つ二つの神社があります。右側が乙天、左側が若天という、開山にあたり性空上人を守ったとされる伝説の童子を祀る神社です。その手前には不動堂があります。この奥に肝心の奥の院があるのですが、撮るのを忘れてしまっていたようです。。「乙天」「若天」という地酒が御茶屋で売られているようです。かなり甘口とかなり辛口な二本組みだそうです。毎年、金賞を受賞されているとなり村の田中酒蔵で造られているそうでして、なんとも親しみを感じてしまいます。 | → |
最後に今回ここに改めて来てみて良かったと思うことがありました。何のヘンテツモないお堂に見えますが、根本堂(現、薬師堂)といわれるこのお寺最古のお堂だそうで、解説を読んでみて知りえたことがありました。この山は、性空上人による開山(平安)以前の奈良時代の遺物が出土したそうで、性空開山以前において既に古代信仰的な修験の山ではなかったのかということが書かれてありました。。。なにかそんな感じがしないでもない、何かほっとかれるような山ではないなと感じてしまいました。 | |
ああ〜〜無常!!! 最終便のロープーウェーが去ってゆく〜〜〜(皆さんも最終便には十分ご注意ください!!!)行きは、わが身の歳を考えず無理した登山コースで疲れてしまったので帰りは楽しようと思ってたのにぃ〜〜「食堂」での災難を恨んでしまいます。。 | 徒歩で下山して訪れたロープーウェーのりば、まさに、もぬけの殻という状況で誰もいません。。行きしにここで忘れていた登山ルートを教えていただきました。。。みなさん親切でした。。 | ||
<今回のぶらっと> たまに、このような近場の古刹を改めて訪れるてみるのも悪くないような気がします。子供の頃、訳もわからず連れて来られたときよりも、いくぶん深い意味や風情を感じ取れたように思います。。団体旅行より、一人旅のほうがどちらかと言えば性に合うような気がします。いろいろ気軽に自由に見て回れるからかも知れませんね。。。遠くへゆく時間も費用もないのでちょっとぶらっとはいい気分転換になりました。。。 |
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ぶらっと紀行A 自然観察の森 | |||
中学のころ、冒険気分でみんなと自転車で遠出することとになり、ここへ来ました。そのころは、鬱蒼とした竹やぶのトンネルを抜けてゆく細い砂利道でかなり人気(ひとけ)のないところで、いまは、県か市の体験学習の施設として星の子館などがあります。。いぜんはハイキングコースなどなかったのですが、このあいだ車で走ってると、コースの表示が目に留まり登ってみることにしました。。軽い気持ちで登ってみましたが、体力的にかなりきつかったです。。やれやれ年には敵いません。。 | |||
ハイキングコースの頂上からみた貯水池、いきなり頂上のショットですいません。ここに辿り着くまで、これといった被写体がありませんでした。登るのに必死で撮る余裕がなかったともいえますが・・・ | → | ヤンマ池、鬼ヤンマでもいるのでしょうか?私が行ったときにはウシガエルの鳴き声が妙に滑稽でした。 | |
同じくヤンマ池、見たことの無い浮き草がたくさん自生しておりました。。 | → | 同じくヤンマ池(その3)なにか野鯉のような魚影が見えましたが写ってないですね。。 | |
鹿がいました!!!それも二匹も!!つがいでしょうか?ハイキングコースの路上に、、、私の気配を感じて一目散に藪の中に隠れてしまいました!!! おたがいびっくりして心臓が止まりそうに・・・(^_^)// | → | 驚かさぬよう姿勢を低くして木立の中でこちらをうかがってる一方の鹿を撮影!!(等倍率)!終の棲家に勝手に入ってごめんなさ〜い。ちょっと撮影させてねといった感じ・・・ | |
望遠ズームにて撮影、この近くに浅瀬の沢のような池があり、きっと水でも飲みに来てたのでしょう。。驚かせてしまったようです。。ちなみにマムシに注意の立て札もあり、、(ゾオッー!!!) | <今回のぶらっと> 行きすがらの道路に鹿の絵の描かれた道路標識がありましたが、まさか!!ほんとに出会えるとは思ってもみませんでした。。ハイキングコースのパネルにも鹿がいると書いてありましたが、、、へぇ〜ほんとにいるんだなぁ〜とは思ったものの、まさか実際に出会えるとは!!! もっと藪の奥深いところにいるんだろうなと思ってましたので、お互いに驚いてしまったのが、滑稽でしたね。。。 いままで、もっと奥深い里へ行ってもみたことのない野生の鹿が、まさかこんな近郊の住宅街のすぐそばで見られるとは!!!案外、灯台、下暗し!!といった感じですね。。(鹿を探しにいったのではありませんが・・・) すこし、薄暗い小道なので行くときは、複数で訪れたほうがよいでしょう。正直いって少し怖かったです。。。 @の霊山とはちがい、まさに獣道でした。もう一人では行きたくないです。。 |
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ぶらっと紀行B 安志稲荷(安志加茂神社)と鹿ヶ壺 | |||
子供の頃、正月になると、家族と初詣でによく訪れた稲荷神社です。。参道の露天で買って帰る「みたらし団子」のあの甘味が、今でも記憶に残ってます。あと、「カステラ焼き」や「たい焼き」も、お勧めです。。樹齢、何百年という杉の巨木が参道にそびえ立ち、参道を歩くと気分が清々しくなります。。高い木立から聞こえて来る鳥の鳴き声も心を和ませてくれます。。中国道の北を分岐して、近くにある「鹿ヶ壺」はその名の通り、鹿が水浴びにやってくる滝で有名な里です。こちらは、紅葉が綺麗だと聞きつけ、家族で秋になると紅葉狩りに出かけるようになりました。。今回は、家族で紅葉狩りを兼ね鹿ヶ壺の山菜そばを食べにゆき、散策ついでに写真を撮りました。。 | |||
中国道の側動を曲がって北に折れると、11月というのに駐車場には桜がほころびかけておりました。聞けば、寒桜という寒い時期に咲く桜だそうです。二度咲きかと思いびっくりしてしまいました。 | → | UPの画像ですが、背景にピントが合ってしまったようです。写真は技術不足です。 | |
少し入ったところで毎年恒例の大干支づくりがもう始まっていました。毎年この巨大な干支のオブジェクトが入り口で参拝客を出迎えてくれます。。 | → | 社務所です。 おみくじなどが売られてます。。拝殿の一段下になります。。 ここまでの参道は200〜300メートルぐらい、歩くと砂利道がジャリジャリ鳴って心地いいです。。参道の両側は杉の巨木が立ちそびえています。。神社仏閣はいつ訪れても空気がいいです。。ご神木の出すマイナスイオンが疲れた体を癒してくれるからかも知れません。。 | |
安志加茂神社です。。美しい図柄の葵紋の垂れ幕が目に入ります。一番奥に祀られています。京都の上加茂神社の荘園として建立された安志庄の総社だそうです。安志稲荷で有名なお稲荷さんは、参道の奥に向かって右にあります。例のごとく写真とるの忘れてましたが、赤い沢山の数の鳥居が美しい様式の神社です。。 |
<稲荷神社の散策> 昔から、安志(あんじ)稲荷の呼び名で親しんできたので、京都上加茂神社の荘園とは、知りませんでした。昔は、初詣にそんなに人出はなかったのですが、CMで宣伝されるようになってからは、人出が増え渋滞となるため、ここ数年は初詣にゆかず、もっぱらコタツにもぐって熱燗片手に寝正月というのが毎年の恒例行事(?)となってましたので、ほんとに久しぶりでしたね。子供の頃、長い距離に感じられた参道は、今ではこんなに短かったのかと思えます。。。 それにしても、初詣するなら、露天の「みたらし団子」はお勧めです。。今でも、おなじ店ならよいのですが・・・ |
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去年も11月ごろ家族と訪れた「鹿ヶ壺」の紅葉です。。ここ数年は、気候の不順で、紅葉もまばらだそうです。。山菜そばを食べた山荘近くでかろうじて黄色く色づいた木が目にとまりましたので、取りあえず撮影しておきました。。 | → | 「千壽の水」という山の湧き水を汲むところです。 山荘の北道の行き止まりにあり、新聞に名水として掲載されてからは、いまだに神戸など遠方からから汲みにやって来る人も多くいます。。この日も神戸から汲みにやって来た人に出合いました。。 | |
その「千壽の水」の水汲み場の様子です。。これを使ってコーヒーを沸かせば最高に旨いという人もいます。かなりの人気で土日なら列ができるほどの賑わいですが、今日はラッキーでした。夜になると鹿が出るそうです。 |
<麦とろ定食> この鹿ヶ壺は、キャンプ場やコテージと食事や宴会のできる山荘があって、いつもやって来るのは、紅葉の時期です。。。山荘での素朴な味わいが好きです。料金もリーズナブルで、特に、「麦とろ定食」は700円で一番のお勧めです。。。滝壺など、まだまだたくさんの見所があるそうです。。写真は山荘の食堂からの眺め、コテージが並んで見えます。
<野生動物> 鹿や猪が出るのは聞いてましたが、今年は以前では確認されていなかった「熊」に注意の張り紙があり、山荘でお聞きすると最近は、出てこないとのことでした。。。やはり、ここでも、どんぐり不足なのかも知れません。。 |
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ぶらっと紀行C 魚吹八幡神社(播州網干) | |||
幼稚園にも、上がる前、私の幼少期、母の里へ秋祭りに御呼ばれし、宵宮の夜、子供の軟弱な胃にこだまする屋台の大太鼓の音に、慄きながら、観にいった網干祭り(播州では最も遅く催される古式ゆかしい秋祭り)へ、約三十年ぶりに出かけ、ぶらっと写真を収めてきました。いやぁ〜〜〜久しぶりに、播州の晩秋を漂わせる趣深い祭りを官能して参りました。。。 | |||
魚吹八幡神社の楼門です。播州でも屈指の規模を誇る八幡さん、約三十年ぶりにおとづれました。近すぎて忘れてたとも言えますが、流石は、立派な門構えです。 | → | 近づいて観ると、これほど大きな門構え、昔は、真言宗の寺と神仏混合されていた名残りを今に留めています。廃仏毀釈は、明治の汚点だとつくづく思い知らされますね。 | |
入ると、宮入りの一番乗りは、朝日谷のだんじり、奉納獅子舞でした。250ml缶ビール咥えタバコのアメリカ人青年が食い入るように魅入っていたのは、???・・・ほんとに判ってるの???まぁ〜〜〜もの珍しいんでしょうかね。。屋台より先に宮入するのは、格が上だそうで、地味にみえても要なんですねェ〜〜〜。。。歌舞伎を連想してしまうのは、果たして私事なんでしょうか・・・ | → | 境内に鐘楼がありました。神社に”鐘”が?、、、詳しい人に尋ねると、むかし、昔は、お隣のお寺とおなじ境内にあって、明治の廃仏毀釈によって、強制分割されて、境界に残ったお寺の名残りだそうです。そういえば、もともとは一緒に御祀りするのが、筋なんですが、いったい明治と言う時代は、現代にも通じるところがあるのかないのか、短兵急なところがあったようですね。。。風情があっていいんですよ。お宮の中に鐘があるなんてね。これが、もとの姿なんだなぁーーー。現代にもつうづる風情が残ってるんですよ。これが!!! | |
本殿です。まだ屋台の宮入は、はじまってません。総勢、壱拾八基の屋台は、高田の馬場という、お旅所で今か今かと宮入を待ち望む荒くれ馬のごとく高鳴っているのとは、対照的に静かな境内が、風情ゆたかな面持ちを漂わせている。といった感じでしょうか。。。 | → | 総勢、拾八基の屋台は、高田の馬場という、お旅所で勢ぞろい、播磨、仏師、彫刻師の粋を極めた芸術作品が出番を待ちわびているように感じます。 | |
他の地域と違う点は、泥台とゆわれる、観得ない部分に贅を凝らせた造り、粋な感じがして、いいなぁ〜〜〜。観得ない部分こそ心血注がれる部分なんですね。次にその屋台の装飾を撮影させて頂きました。 | → | 屋台の泥台とゆわれる部分は、人目にはふれなくても網干屋台の特徴を如実に際立たせる他の地方では、なかなかお目にかかれない彫り物が施されていて、観ていて飽きません。次が拡大写真。、 | |
ここぞ仏師の腕の見せ所とばかりに、細かい細工が装飾をより一層、曼荼羅の様相を醸し出している泥台。いったいどれだけの月日がかかるのか気の遠くなるような職工技ですね。 | → | 泥台細部。 | |
同じく泥台。稚拙な説明は嫌味になり候、、、 | → | 泥台よりは目に付く屋台の欄間(屋根の裾に施された彫刻)昔ながらの群青色が目を惹きつけます。 | |
白木の欄間もいいですね。私は白木のほうが好きですが・・・ | → | だんじり芸は、網干祭りの主役、おひねり!!!が、飛び交います。 | |
高田の馬場、神が祭りの日だけ、宿泊する”お旅所”。神輿で御出張なさるそうです。 | → | 三基のお神輿さんで、仮のお宿でお練見物洒落込む御三神、この日ばかりは、無礼講? | |
乗り子の裾は、地に摺ってはいけないので、肩車によって屋台に乗り込む前の様子。 | → | そんなこんなで日は暮れかかり、宮入を待つと夜7時以降となるそうで、爺さんの待つ我が家へ、露天の”鯛焼き”片手に帰還し、電子レンジで暖めすぎた”鯛”に下口を焼かれてしまい。治ったのは、二週間も後の出来事でした。(露天の鯛焼きは、お粗末でした。。。!!!m(_ _)m) | |